続・玩式草子 ―戯れせんとや生まれけん―

第2回 そは永遠(とこしえ)に横たわる死者にはあらねど…

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一方,著作権的な観点で「クトゥルフ神話」を眺めると,⁠ある作家が創作した設定を,別の作家が勝手に流用していいのか?」という点が気になります。⁠クトゥルフ」「ヨグ・ソトース」といった神格はラヴクラフトの創作物であり,果して作者の許可なしに第三者が利用していいものでしょうか?

ラヴクラフト自身は同好の士との文通を好み,彼らとの手紙のやりとりの中でアイデアを膨らませていったことも多く,友人や弟子筋の作家が自身の設定を流用して新しい小説を執筆することを歓迎していたようです。

たとえば,ラヴクラフトを自作の小説中に登場させてもいいか,と尋ねてきたロバート・ブロックに「描き,殺し,軽視し,分断し,美化し,変身させるほか,どうあつかってもよい」旨の回答を,自身と彼の作中人物であるアブドール・アルハザードやフォン・ユンツトの署名付きで返信しています。

許可を受けたブロックは,星からの訪問者という小説の中で,ラヴクラフトをモデルにした人物が,召喚された「星の精」に無惨に殺されるさまを描きました。一方,そのおかえしとばかり,ラヴクラフトも自作の闇をさまようものという小説の中で,ブロックをもじった「ロバート・ブレイク」という主人公を惨殺しています。

このようなやりとりは微笑ましく感じる反面,ラヴクラフトの没後,彼と直接面識のない世代の作家たちが「クトゥルフ神話」の枠組みを勝手に利用することは問題ないのでしょうか?

筆者は,⁠著作権」は公開された著作物の「表現」に対する保護であり,世界観のような「アイデア」を保護するものではないので,他者の設定を新たな著作物に流用することは著作権的には問題ない,と考えています。

ラヴクラフトの場合,死後70年以上経過して著作権保護期間は切れているものの,たとえ保護期間が継続している作家の作品であっても,著作権によって保護されるのは公開された文章等の「表現」そのものであって,そこに描かれた世界観や魔導書等のアイテム,⁠邪神」「旧支配者」といった設定は保護される対象ではありません。そのため,新しい創作小説にそれらの設定を流用しても著作権法的には問題ないはずです。

ただし,ここで考えているのは「クトゥルフ神話」の各小説のように,新しい創作物の中に過去の諸作品の設定がさりげなく組み込まれているような場合です。同人誌等で行われている,ある作品の設定やキャラクターをそのまま流用して作った「二次創作」は,著作権の中の「翻案権」の侵害と見なされるでしょう。

「クトゥルフ神話」とLinux

「原作者が作った世界観」を流用しつつ,後人があれこれ設定を追加して作品世界を拡大していく,という「クトゥルフ神話」のスタイルは,Linuxに代表されるOSSの世界と似ていないでしょうか?

30年近く前にインターネット上に公開された1つのソフトウェアが,すぐれたハッカーたちを魅きつけ,みんながアイデアやコードを持ちよって機能を追加,洗練させてゆく。その結果,PC互換機のハードウェアに依存した100KB程度のソフトウェアが,数万のコアを持つスーパーコンピュータから掌(てのひら)に収まるスマホまでサポートし,現代のインターネット基盤を支えるまでになっていく。

このようなLinuxの成長過程は,無名の小説家だったラヴクラフトが発表した数編の怪奇小説をきっかけに,同好の士がアイデアや設定を持ちよって,壮大な「クトゥルフ神話」の体系を築きあげていった過程とパラレルに見えてしまいます。

ソフトウェアであるLinuxの場合,変更箇所はソースコードに直接反映され,ソースコードそのものが変ってゆきます。一方,⁠物語集」である「クトゥルフ神話」の場合は,それぞれの作品は「著作物」として保護されるため他者が勝手に変更することは許されず,さまざまな作品が代々積み重なっていくことになります。その結果,後から見ると,全体の整合性は必ずしも取れていないようです。

もちろんLinuxを構成しているソースコードも著作物であり,著作権で作者の権利は保護されています。しかしながら,LinuxのようなOSSの場合,使用許諾契約としてGPL(General Public License)を採用することで,それぞれのソースコードの著作者が,他者の自由な利用や変更をあらかじめ認めており,その結果,ソースコードの自由な改変が可能となって,奇跡のような成長速度が実現されました。

このようなGPLの成果を文書の世界にもとりこむために,文学作品にも適用できるGFDL(GNU Free Document License)や著作者の権利をより細かく制御して再利用を促進しようというクリエィティヴ・コモンズ・ライセンスなども提案されてはいるものの,作家の個性の表現とされる「文学作品」と,⁠他者による自由な改変」という概念は相容れないようです。

このあたり「アート」としての文学作品と「ツール」としてのソフトウェアの違い,という見方もできそうで,機会があれば改めて考えてみようと思っています。

著者プロフィール

こじまみつひろ

Plamo Linuxとりまとめ役。もともとは人類学的にハッカー文化を研究しようとしていたものの,いつの間にかミイラ取りがミイラになってOSSの世界にどっぷりと漬かってしまいました。最近は田舎に隠棲して半農半自営な生活をしながらソフトウェアと戯れています。

URLhttp://www.linet.gr.jp/~kojima/Plamo/index.html